旅行家・藤原かんいちが30日間で果たしたeバイク(YAMAHA WABASH RT/ヤマハ・ワバッシュRT)による佐多岬→宗谷岬、日本縦断3700キロチャレンジ旅。今回は第7回目のリアルレポートです。
24日目。宮城県石巻市。3日連続で雨の朝を迎えた。今日の天気予報も雨、どれだけ悪天候が続くんだ? さらに予想最高気温も13~14℃と6月とは思えない低さ。持っている服は薄手のものばかり、大阪でインナーダウンを自宅へ送り返したことを悔やんだ。
出発の準備を進めていると、オーナーの加藤夫婦が自慢のオートバイを見せてくれた。小さな原付のサイドカー。イエローのカラーリングと相まって、まるで遊園地の乗り物のようにファンシーでかわいい。よくよく話をしてみると奥さんはとてもアクティブで、大型オートバイの免許を持っていて、さらに旦那さんをサイドカー乗せて走ることもあるという。どこまでも明るく楽しい加藤夫婦。出発前には奥さんが手作りおにぎりを持たせてくれた。アットホームでライダーにやさしい『ビジネス旅館ダック』。思い出に残るいい出会いだった。
今日走るのは東日本大震災で大きな被害を受けた『三陸海岸・国道45号』。2011年の夏に僕が訪れた時は、信号や看板が倒れたままだったり、流された家具や寝具などが山積みだったり、震災の傷跡が生々しく残っていたことを憶えている。その後、復興の状況を伝える報道は減る一方、いまはどんな状況か詳しい内容は伝わってこない。
時間を追うごとに雨は小降りになり、南三陸町に入るころにはほぼ上がっていた。しかし風は相変わらず切るように冷たい。しばらくすると巨大な防波堤が目に飛び込んできた。あまりに巨大で、まるでコンクリート製ピラミッドのようだ。川の両岸、入り江に沿ってずっと続いている。そのスケールに圧倒される。
その先も、またその先にも巨大防波堤。堤防の内側には大きな空き地が広がっている。おそらく震災の前はこの場所にたくさん建物があったのだろう。ほかにも同じような場所があったが、そこは公園になっていた。どちらにしても新築の民家は見当たらず、人々の営みはない。『復興』の意味が“いったん衰えたものが再び盛んな状態に返ること”だとすれば、まだ『復興』はしていないのかもしれない。そんな景色を眺めながら本当の『復興』とは何か? 改めて考えた。
岩手県入り。ネットで予約していたホテルのドアを開けると、ロビーのソファーに座っていた従業員さんが、僕を見て漫画のように飛び上がって驚いた。大慌てでマスクをして「あっ、えっ、ご予約されていますか?」「はい、1時間くらい前に……」そう応えると、急いでパソコンをチェック。「ん……あっ、あっ、すみません。入っていましたー!」と笑った。どうやら僕の情報が遅れて入ったようだ。それにしてもまるでお化けを見たようなリアクションだったなぁ。それからしばらく、その光景を思い出しては笑った。
25日目。ホテルでゆっくり朝食をとり、みんなに見送られて宿を後にした。雨の降っていない朝は4日ぶりだ。それだけで嬉しい。国道45号を走っていると遠くに、有名な『奇跡の一本松』が見えてきた。
約7万本もあったといわれる『高田松原』。ほとんどの松が津波で流されてしまった中、唯一残った松を『奇跡の一本松』と呼ぶようになった。残念ながら震災の1年後に『奇跡の一本松』は枯れてしまったのだが、復興のシンボルとして後世に残すために復元工事。モニュメントとして復活した。
現在、周辺は『高田松原津波復興祈念公園』として整備されていて、全国各地からたくさんの見学者が訪れている。広い公園内を歩いて松の元へ行き眺めていると、後から遠足の小学生たちがやってきた。多くの子供たちの命が奪われた東日本大震災。11年前はまだ生まれていなかった子供たちの目に、この『奇跡の一本松』はどう映ったのだろう。
『三陸海岸・国道45号』はこれまでの絶景ロードとは違う、印象に残るステージとなった。ここから国道45号を離れ、国道340号で内陸にある遠野市へ向かった。赤羽根峠を越えると、雲の切れ間からつに青空が見えた。「待ってたぜ」。天気がいいとそれだけでペダルも軽くなる。
遠野市は僕の両親の生まれ故郷でもある。幼いころは夏休みになる度に祖父母が住む実家へ家族みんなで帰郷。たくさんの時間を過ごした。祖父母が亡くなってから訪れることは減ったが、25年前に亡くなった父親が眠るお寺を訪ね、お墓参りをした。花を置き、手を合わせる。職人気質で頑固な父親だった、天国から僕を見て「いい歳して、自転車旅か!?」と笑っているに違いない。
田んぼが広がる遠野盆地から水田と畑の田舎道が延々と続いた。急こう配の坂道はないが、できるだけ体力の消耗を抑えるためアシストはHIGHモード。時速24kmを越えるとアシストなくなるので、時速20km前後をキープする。長距離を走る時のベストスタイルが身についてきた。
盛岡市内のホテルへチェックインの前に『冷麺』『わんこそば』に並ぶ盛岡三大麺の一つ『じゃじゃ麺』を食べに行くことにした。中華のジャージャー麺と似ているが、じゃじゃ麺は平打ちうどんのような麺を使用。そこに特製の肉みそときゅうりとネギがトッピング、ここにラー油やショウガ、酢などの調味料を混ぜ合わせて食べるスタイル。元祖といわれる『白龍(ぱいろん)』のじゃじゃ麺は、もちっとした食感の麺と、ショウガのきいた肉みその相性が抜群。濃厚な味わいがあり、とてもおいしかった。
26日目。今朝は一転、再び雨模様。「いったいどれだけ降れば気がすむんだぁ!?」空に向かって叫ぶ。ステージ14『八幡平アスピーテライン』を目指してホテルを出発。国道4号を北上する、天気が良いと西に岩手山が見えるのだが、今日は雲に隠れて見えない。
しかし1時間ほど走ると雨は止み、その後もどんどん雲が切れて青空も見えるようになった。西根から県道23号へ入り住宅地を抜けると視界が開け、見えていなかった岩手山がついに姿を現した。松尾八幡平ビジターセンターを過ぎると上り坂が多くなり、山の景色になってくる。こういう道になると威力を発揮するのが電動アシスト。金精峠&いろは坂以来の峠道なので、喜びながら上ってゆく。
眺めのいい展望所で小休憩をする。どこまでも広がる緑の森林、残雪が残る美しい山々、自然の景色は美しい。ここ数日間は町を走ることが多かったので自然の景色を見ているだけでテンションが上がる。次のカーブを曲がったら、あの丘を越えたら、どんな景色が広がっているのか? ワクワクしながらペダルを踏む。
午後1時過ぎ、レストハウスと大きな駐車場が見えてきた。「やったーっ!」岩手県と秋田県の県境、見返り峠に到着だ。登山客の起点となっている峠なので駐車場はハイカーの車がビッシリ停まっている。
『八幡平アスピーテライン』の絶景はさらに続く。一気に下ってしまうのがもったいないが、早く先に進まないと30日間でゴールができないので、渋々山を下りる。国道341号を走り、鹿角市に入った。昨晩、地図を見たときは鹿角市辺りに泊まろうかと思っていたが、まだ午後5時前。まだ明るいし、体力も余っているので40km先の『十和田湖』まで走ることにした。
国道282号を北上、毛馬内から国道103号へスイッチする。十和田湖が近づくに連れて、上り坂がきつくなる。一日の終盤の上り坂は、アシストのあるeバイクでもきついのだが、峠を越えた向こうに十和田湖が待っていると思うと、勝手に脚が動く。
発荷峠が見えてきた、この峠を越えれば十和田湖まで下り坂のはず。風を切っていると眼下に広がる十和田湖が目に飛び込んできた。周辺を外輪山に囲まれたカルデラ湖で、その美しさは日本でも屈指を誇る。湖をゆっくり眺めるのは明日にして先を急ぐ。頑張って走ったかいあって、暗くなる前に予約していた『十和田湖ホステル』に到着した。
今日の宿は平塚カメラマンが予約してくれたのだが、実に面白い宿だった。古い旅館の建物を使った『十和田湖ホステル』は、オーナーの健康状態やコロナ禍の影響などから現在はリモート営業。朝夕は完全に無人で、支払いは事前のカード決済だが、スマホ決済、料金箱に現金でもOKという、おおらかな宿だった。さらに、ロビーにはレトルト食品やカップヌードルの無人販売コーナーがあったり、部屋の造りも広さもバラバラだったり、超個性的。設備も建物も古いけど、それも宿の味だと思えば気にならない。それよりなにより一泊2000円という値段がありがたい。
近くにある『ホテル十和田荘』で久しぶりに温泉入浴。浴室は広く、大きな湯舟にはお湯がたっぷり。全身を温かい温泉に包まれると贅沢な気分になった。まさにゴクラク。ここまでシャワーばかりだったので、温泉の気持ちよさを再確認した。お湯と共に疲れをスッキリ洗い流した。本日の走行距離141.2km。
27日目。今日は八戸港22時発の苫小牧行きフェリーに乗る予定。十和田湖から八戸まで約90kmなので、気分的にはかなりラクだ。宿を出ると十和田湖の象徴、湖畔にある『乙女の像』へ向かった。湖に出ると、いきなり絶景が待っていた。湖上に立ち込める霧と青空、流れる雲が湖面に鏡のように映っている。自然が創り出す幻想的な景色に息を呑む。これまで何度か十和田湖に来ているが、もしかしたら一番かもしれない。
湖畔の道をしばらく走り、子ノ口から奥入瀬川沿いに延びる国道102号へ入っていく。『奥入瀬渓谷』といえば紅葉が有名だが、いまは緑の季節。道の両側は緑の木々と草に囲まれ、まるで緑のトンネルを走っているよう。緑の光に包まれながらペダルを踏むのはなんとも気持ちがよかった。奥入瀬川は渓流に沿って、滝や清流、岩など、見所盛りだくさん。eバイクに跨りながら眺めたり、バイクを降りて橋を歩いたり、遊歩道から滝を眺めたり、奥入瀬の自然を堪能した。
奥入瀬渓谷を出ると、後はひたすら八戸へ向かった。道は緩やかな下り坂、自然とペースが上がり、午後3時過ぎに八戸についてしまった。気持ちはすでに北海道だ(笑)。出港22時まで時間がかなりあるので、ネットカフェへ入り、溜まっていた仕事を片付ける。
21時、eバイクと共に苫小牧行きの『シルバーフェリー』に乗り込んだ。8時間後、明日の朝は北海道。そう思うだけで気持ちが高まる。一方、大きな不安も立ち込めていた。苫小牧から宗谷岬まで約500km。当初は4日間で走る予定だった。ところが東北地方の寒さと雨、疲れなどから距離が延びず、北海道に残された日にちが3日間だけになってしまった。3日で500kmも走れるのか? 30日間日本縦断の達成は予想以上に厳しい状況になっていた。
■ここまで(27日間)の総走行距離:3160km
■今回の走行ルート