eバイクで旅したいと思っている場所のひとつが栃木県の日光。僕には日光と自転車の間に、切っても切れない思い出がある。それは50年前の中学生2年の春休み。友人とふたりで自宅のある神奈川県相模原市から3泊4日で日光自転車ツーリングに出かけた。いろは坂を上り、華厳の滝、中禅寺湖など順調に旅は進み2日目の夕方、奥日光の湯元へ到着した。ところが翌朝、起きてみると景色は白銀の世界に変貌! 一夜に降った雪の量は壮絶で、大きな窓ガラスの半分を埋めるほどだった。その日は動きが取れず、宿に連泊。もちろん予定していた金精峠越えも中止になった。結局2日後に自走で下山することになったのだが、あの景色と体験はいまでも強烈に記憶している。
日光の10月下旬といえば紅葉シーズン。日光の景色を眺めながら、懐かしい自転車旅に思いを馳せる…… そんな旅を実現するいいタイミングと思い、日光行きを決めた。車にeバイクを載せ、いざ日光へ。前日は日光駅の近くにあるビジネスホテルに宿泊。早起きをして早朝の午前6時、奥日光を目指しペダルをこぎ出した。僕の相棒ヤマハのYPJ-TCは大容量バッテリーなので1本で足りそうな気もするが、ほとんどが上り坂。念のために予備1本を携帯することにした。余裕があるので今回は最初から電動アシスト全開のHIGHモード。電力をフルに使って進んで行く。
国道120号はゆるやかな上り坂が続く。中禅寺湖まで行くとコンビニ等がなくなってしまうので、日光市内のコンビニでパンやチョコレートなど携帯用の軽食を買っておく。甘いものがあると休憩タイムが充実するので、スナック系の携帯はeバイクの旅をはじめてからの定番になっている。
それにしても50年前。まさか将来60歳になって自転車で(それもeバイクで)日光を走ることになるとは想像もしなかった。人生何があるかわからない。ペダルをこぎながらそんなことを考えた。しばらく進むと視界が開け、大谷川が左手に見えてきた。自然も多くなると旅気分も上がってくる。
馬返公衆トイレを過ぎると、いよいよ“いろは坂”が始まる。日本の道100選に選ばれている、いろは坂。第一と第二を合わせて48のカーブがあることがその名前の由来。ちなみに全長は15.8km、標高差は440mもある。まさに坂道天国(笑)
実はいろは坂を登り始める前から気になっていたことがある。これ結構重要なことなんだけど、周りの木々がまだ緑色なんだよね。そう、紅葉がまだ始まっていないのだ。通年なら、10月下旬は紅葉の見頃なのに、どうやら今年は色付きが遅いらしい。ちゃんと調べておけばよかった!と悔やむが、後の祭り。それでも、もしかしたら標高が上がったところは紅葉しているかもしれない。そんな淡い期待を込めながら、ペダルを回した。
1時間ちょっと上って”明智平駐車場”に到着。明智平展望台へと繋がるロープウェイ乗り場がここにあり。広い駐車場になっている。自動販売機前のベンチで休んでいると、同じように自転車で上ってきた人が、僕を見つけ声をかけてくれた。栃木県の人で時々こんな風に自転車で走っているという。話をすると歳が近いことがわかり、旅や世間話に花が咲いた。これまではコロナの感染者が多かったので、旅先での会話は控え目にしていたが、いまはコロナが落ち着いているので、抵抗感なく話すことができる。30分ほどおしゃべりをすると、僕は半月山へ、Yさんは徒歩でロープウェイ乗り場へと向かった。
トンネルを抜けると中禅寺湖が見てきた。右手には男体山がドンと聳(そび)えている。雄大な景色を見ていると旅のテンションも自然と上がってくる。国道120号から中禅寺湖スカイラインへ入り、半月山駐車場へ向かう。道は出発からひたすら上り坂が続いているが、疲れはそれほど感じない。これも電動アシストのお陰だ。さらに上って行くと、木々の間から眼下に広がる中禅寺湖が見えた。上から見る中禅寺湖もまたいいもんだ。さらに進むと中禅寺湖展望台駐車場、そして終点の半月山駐車場に到着した。ここからは山々の展望が素晴らしく、絶景を心行くまで堪能した。一方、標高1600m近くまで来てもほとんど紅葉していないことが判明。この時点で紅葉は諦めることにした(笑)
中禅寺湖まで一気に下山すると、国道120号で戦場ヶ原へ向かった。湖を左に見ながら、のんびり進んで行く。途中にある“竜頭の滝”に立ち寄ると、滝の周辺の木々が少しだけ紅葉していた。それだけで少し嬉しくなった。竜頭の滝は人気のようで売店や展望所は観光客でいっぱい、駐車待ちの車が列ができるほどだった。竜頭の滝は小さいが周りの木々とのバランスが良く絵画のようだった。
中禅寺湖を離れ坂を上ると、広い草原に出た。中禅寺湖をめぐって男体山の神と赤城山の神が争ったといわれる場所、戦場ヶ原だ。これまで周りを木々に囲まれていたので、解放感いっぱい。いきなり空が広くなった。50年前の自転車旅の時は、この辺りは完全に白銀の雪原だったことを思い出す。友人と興奮しながら雪へダイブしたり、雪を掴んで投げ合った記憶が蘇る。まさに青春の1ページだった。
戦場ヶ原を少し離れたところでバッテリー残量の表示が0%になったので、路肩にバイクを停めて2本目に交換する。ここまでの走行距離は52km、ほとんど上り坂だったこともあり、思ったよりもハイペースで減っていた。予備を持ってきて正解だった。再び走り始めると、湯ノ湖まであっという間だった。今回の最終目的地、奥日光に到着だ。
湯元の中心部で大きな案内板を見たが、そこに中学の旅で泊った“ユースホステル湯元山の家”の名はなかった。そりゃそうだ、50年も前の話だからな。どこの辺りにあったのか、周辺を走りながら記憶を辿ったが、思い出すことはできなかった。思い出の場所はなくなってしまったが、湯元の静かなたたずまいはあの時のまま。いま僕は確かに、50年前と同じ場所に立っている。それだけで十分だった。気が付くとそこには柔らかな風が流れていた。さあ、そろそろ帰ろうか。
●使用バイク:ヤマハ・YPJ-TC
●走行距離:80.0km
●バッテリー消費:1本目100%。2本目16%
今回のルート