eバイクと呼ばれるカテゴリーが生まれる遥か昔。今から24年前の1996年。実はすでに限りなくeバイクに近い自転車が日本に存在していました。そのモデルが発売されたとき、僕の次なる旅の相棒はこれか!?と興奮、大注目したことを今でも覚えています。
それはホンダのラクーンCX。
今は作っていませんが、ホンダが電動アシスト付き自転車(ラクーンシリーズ)を作っていた時代があったのです(ラクーンは1995年~2002年まで生産されていた)。96年といえば日本で婦人用アシスト自転車が広まり始めた時代。そのアシストシステムをスポーツタイプのMTBに搭載したCXはかなり画期的なモデルでした。スタイルはほぼマウンテンバイク。“MTBスタイルとペダルアシストが、新体験の走りを生み出す”そんなキャッチコピーが当時の商品カタログに躍っていました。
フラットバーハンドル、テレスコピック式フロントサスペンション、カンチレバー式フロントブレーキ、内装7速ギア、26インチアルミリム… 当時としては斬新な内容でした。さらに驚くのが、現在でもそれほど多くない、脱着可能バッテリーをフレーム内蔵するスタイルを実現していたことです。そこから当時のホンダがこのモデルに関して、かなり本気で取り組んでいたことが分かります。
ただ、車重は26kgと重く、一充電走行距離も25㎞程度とかなり短いのは確か。さらにリアブレーキはローラー式だし、サイクルコンピューターも付いていない。現代のモデルと比べて劣る部分は多いのですが、24年前、すでにeバイクのベースとなるカタチはできていたことは確かです。
そんなラクーンCXの存在が気になっていた僕は、発表の翌年の2月、ラクーンで行く四国の廃線跡を訪ねる旅を計画。実行しました。
当時の旅レポートがあるので読み返してみると、いろんなことが分かってきました。
レポートの中では「節電のために平地ではアシストは使わず、上り坂になったところで喜んで電源をいれた」とか「電源を入れた瞬間、後ろから誰かが押しているんじゃないか?と思えるほどペダルが軽くなった!」などと書かれています。なんだか微笑ましい(笑)
逆に「峠の上り坂になるとみるみるバッテリー残量が減り、あっという間に残量0に! 峠を越える前に電力を使い切ってしまった。その後は漕ぐことになったが、あまりにも自転車と荷物が重いので、さらに押して上るはめになった…」と嘆いたり。バッテリーの容量不足と、車重の重さに苦しんだ様子が書かれていました。この辺りから当時のバッテリー技術の高さ、ユニットの特性などが見えてきます。
ほかにも、昼ごはんで入った田舎の食堂で、少しでも走行距離を延ばすために充電をお願いしようと考えた。ただ店主は70代の老夫婦、最新の電気自転車など知らないので変に思われないか心配したことや、お願いしたら快く引き受けてくれたので安心したことなど、その時の様子が詳しく書かれていた。今ならテレビ番組の企画などがあるので、もっと簡単に理解してもらえるはず。
山奥に眠る「別子銅山鉄道の廃線跡」を訪ねる旅は途中から登山道に。自転車を担いでなんとか進んだが、積雪や路面凍結、急勾配など前進を阻まれ、最後は自転車を置いて、徒歩で2時間以上歩いた……と書かれていた。あのころから相変わらずだな……と読みながら笑った。
これはある意味、僕が前世紀に残した最初の電動アシスト自転車旅の記録でもあった。
この旅の後は以前から続けていた原付バイクによる世界6大陸の旅に復帰。2000年代になると新たに電力だけで走る電動バイクが登場、新しい旅へと進んでいった。こんな風に僕の頭の中から完全に消えていた「電動アシスト自転車の旅」が、23年の月日を経て「eバイクの旅」にカタチを変えて実現しようとしているのだから、人生は何が起こるかわからない。
当時の電動アシスト自転車は長い距離を旅する性能を備えていなかったが、その後のバッテリー性能の進歩や大容量化、アシストユニットの進歩によって、十分に対応できるようになった。機は熟したのだ(僕は勝手にそう思っている(笑))。
次は、いよいよ最新のeバイクの試乗だ。WEBサイトのデータや記事など読んでみると日本一周などのロングツーリングは可能だと感じているが、実際に跨ってペダルを漕いでみないと分からないのも事実。何しろ僕の一番強く記憶に残っているのは23年前の四国の旅ですからね。その違いも含めて、体験できたらと思っています。